蓼科山(THETA@日本百名山)

蓼科山に行ってきた。

遠くから見るとまんまるでかわらしい山 まず大河原峠-双子山-双子池-北横岳-双子池->一泊 翌日->双子池-双子山-大河原峠-蓼科山-大河原峠というプラン

遠くに見えるまんまる山が蓼科山

双子山、最近気づいたけど、thetaで撮るときは本体を包み込むように握ると、本体部分の画像処理に指が巻き込まれて消えてしまうので、つまむように持つのが良い。

Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

大河原峠の駐車場から双子池までは1時間ほど、双子池ではテント泊ができる。ちょっと重めのテント泊装備だったけど、即テント張れて荷物デポできるからよい。

双子池は雄池が飲料用、雌池は食器を洗ったりできる。 管理人のおっさんは魚の餌になるからOKとか言ってた、限度を相手のモラルに任せるスタイル。自分はミートスパに使ったコッヘルを洗う気にはなれなかった。サンショウオもいるらしい。それを聞いて胸が高鳴って、探してみたけどわからなかった。 雄池の水は味も温度もまさに水道水だった。自然の水の美味しさを感じるはずが、都会の水道の技術の高さを思い知ってしまった。 あやめだろうか、紫の花は気品があってよい。

蓼科山へは2つルートがあって反時計回りで周回した。 近くでもまんまる。だけど、よりのっぺりしてる。

終盤に岩場をガシガシ登る。初心者の自分は初めての岩場。”リスク回避、リスク回避”とつぶやきながら良さそうな岩を選んで登った。写真じゃ伝わらないかもしれないが新御茶ノ水エスカレーターくらいの角度。

Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

山頂は雲が吹きさらしている中にあった。 地表で見る雲は呑気で穏やかな印象だけど、実の雲の中は荒々しくて、そして境目が曖昧でぼんやりとしている。 雲が流れて、雲の切れ目でぱっと視界が開けて下界が見渡せたときは神秘的で最&高だった。けどすぐにまた雲に隠れてしまった、正確には自分たちが雲に隠れたんだけど、恥ずかしがり屋め。

Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

家に帰って、サンショウオを見れなかったモヤモヤから、kindle井伏鱒二山椒魚をダウンロードして読んだ。残念ながらラストの蛙の心境は追えなかった。自分が経てない境地、感情は追えないと改めて感じた。また数年後に。 しかし、これにて二名山完了!!

大菩薩嶺(THETA@日本百名山)

久しぶりの更新!

最近THETAを手に入れたので毎日持ち歩いている。これが本当に面白い。 そこで自分が好きなこととTHETA映えのあるものとのいい組み合わせを考えていたら、 日本百名山をTHETAで撮っていったら面白いんじゃない?と思ってたので早速始めてみた。

登山は何度か経験があるが全然初心者なので、今回は初心者コースを求めて探したところ山梨の大菩薩嶺が目についたので行ってきた。 上日川峠まで車で行って、上日川峠-大菩薩峠-雷岩-大菩薩嶺-雷岩-上日川峠というスーパー初心者コース。 10時半に登山開始してたしか13時半には下山完了したと思う。

大菩薩峠は見晴らしがよく人もそこまで多くなくで気持ちが良かった。特に尾根伝いに雷岩の方までよく見渡せて、天気の良さと相まって惚れ惚れする景観だ。 ここから富士山も見えるらしいが残念ながら遠くまで見通せる様な天気ではなかった。 THETAで撮ってこういうWeb上で公開するのは初めてだが、THETAアプリのスタンプのセンスのなさに驚いた。うーん。THETAって撮りたくない人も写ってしまうからそれをうまく排除したいんだよなー。

@大菩薩峠

Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

今の時期はレンゲツツジとサラサドウダンが咲いていた。植物も好きなので、この企画はいいかもなー(計画するのがめんどくさがりの自分にはネック)。

思ってたよりちゃんと樹木なレンゲツツジ サラサドウダンの花は下向きに密集しててそれはそれはきゃわいい 山頂の大菩薩嶺は木々に囲まれた見晴らしの悪い場所だったけど、これにてTHETA@日本百名山計画一つ目完了!!

@大菩薩嶺

Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

果たしてこのまま続けられるのだろうか、、、

アラサーの定義

もう今年で25歳だし、そろそろ若者意識をなくさないとなー。となんともなしに考えているとふと思った。アラサーって何歳からだろうか。

友人は四捨五入により25歳から34歳をアラサーと定義していたが、それでいいのだろうか、アラウンドという名称を用いている以上、上限下限が中心と等距離にないと困る。25歳から34歳がアラウンドとするなら29.5歳となるのではないだろうか。整数ではなくなるし、さらにはアラウンドニジュウキュウテンゴ、もしくはアラウンドトゥエンティナインポイントファイブとなると語呂が悪いし、略すこともできない。
では26歳から34歳、もしくは27歳から33歳、28歳から32歳、29歳から31歳が候補となるだろう。
もしアラサーを26歳から34歳となると、アラフォーは36歳から44歳となり、35歳だけがかつての青森と秋田のどちらの県にも所属していなかった十和田湖の存在のように頑としてそびえてしまう。
ではアラウンド35のようなアラサーとアラフォーとのモラトリアム的な存在を認めるとする。もし、28歳から32歳をアラサーとすると5つの年齢でアラサーと呼称することができ、33歳から37歳と5つの年齢がアラサーでもなくアラフォーでもなく余るためバランスが良く収まりがいい。

以上より、自分はアラサーの定義を28歳から32歳とし、同様にアラフォーまたはこれに準ずるアラウンドを一桁目8歳から繰り上がり一桁目2歳までと提唱したい。
そして残された33歳から37歳を領土争いから解放された不可侵の領域として、世界自然遺産に認定し崇めようと思う。

皮肉的な逆転構造

うちのバイト先は年中人員が足りない。飲食店なのだが他のところも同じなんだろうか。

 バイトに入ってもすぐに辞めてしまう人が多い。それに対して、社員やフリーターは「根気がない」「ゆとり」と口にする。最近入ってきた新人はシフトの時間ぎりぎりで出勤するため「新人なんだから早めにきて勉強しないとだめ」と陰口を叩かれている。

もうそんな時代じゃないんだよね。ぎりぎりに来ててもシフトに間に合ってるんだから。根本的に考え方がずれてる、というか遅れてると感じる。

今の新人の思考回路は以下だと思う。
数ある似たような条件のバイト先からちょっとした優先度(家から近いなど)で応募。
入ってみたら新人教育で覚えたことをシフト時間外に復習しろと注意される。シフト時間外に勉強すると考えると実質の時給が下がる。そうなると数ある他のバイト先候補の方が条件が良い。もともと大した理由でここを選択したわけではない。ということで辞めて他のバイトへ。

以上のような合理的な判断は高校生でもできる、たぶん現代は日常的に選択肢があふれてるから若い人は合理的な判断と選択は得意なんだろう。

 これに対する「根気がない」「ゆとり」のなんとも的外れなことか。
レッテルを貼って思考停止するのは気持ちいいんだろうけど、もはやアルバイトで成り立ってるサービス業では過半数がゆとり世代、その世代の考え方に対応していかないとどんどん取り残されるよ。条件を良くする(時給上げる)か新人教育を手厚くするかしないと解決しないよ。
ということを言っても聞かない上に、辞める人に問題ありという態度を何年も続けてるんだけど、そういうの見てるのって最高に面白いよね。

 

採用に面接という過程があるから従業員を選別してる気持ちなんだろうけど、皮肉にも「ゆとり」に選別されて取り残され、苦しんでいるのはこちら側なのだ。この社員側の思っている構造と現実の逆転現象はとても面白いね。

 

西野カナの曲の歌詞は浅ければ浅いほど売れる

カレンダーをめくるごとに研究のやる気が湧いてくるものだと考えていたが、最後のページになってもやはり意識の持ちようは変わらない。だらだらとPCに向かっていると、同期女子が毎日夕方に来ているくせにそそくさと申し訳なさそうに登校してきた。
席に着くなり、
「shu711くん、これ」
そう言って西野カナのアルバムを渡してきた。彼女はTSUTAYAバイトしているので、レンタルを頼むと借りてきてくれる。
「わたしは好きじゃないけど、好きな人は好きだよね」
誰でもわかるように自分の好みに難癖をつけ、西野カナの歌詞が浅いのになぜ人気があるのがわからないと話してきた。

いやいや、それは全く逆だ。歌詞が浅いから売れているのだ、そこは間違ってはいけない。

そもそも西野カナの曲が40代や60代の人に向けていると思うだろうか。完全に10代20代、さらには女性に向けているのは誰でもわかるだろう。
あなたは老若男女に人気があるミュージシャンの歌詞についてどういう印象を受けるだろうか、自分は抽象化をしすぎてなにを言ってるのかわからない感じる。
例えば「きみと出会えた奇跡」なんて歌詞があるとしよう。
そのようなミュージシャンの場合"きみ"について具体的に言及していない場合が多い、"きみ"って好きな女の子?それとも娘?。表現も立場もあやふやなせいで共感できそうでやっぱり曖昧模糊として感情が移入できない。
「あれは実は結婚する友達に向けて作った歌なんだよ、だから"きみ"は友達なんだよ」
そんなこと知るよしもない、そういう楽しみ方もあってもいいとは思うが、裏情報がないと伝わらないのでは困る。
多くの人を共感させるには具体的な表現を抽象化しないといけない。クラスにいる"きみ"が好きな高校生の男の子も、会社で一緒に頑張っている女友達の"きみ"が好きなOLも、おてんばでやんちゃな大事な1人娘の"きみ"が好きなお母さんも全部ひっくるめて共感させるには抽象化をさせるしかない。そうやって欲張っていくと、正直よくわからないため自分で都合よく解釈して意味を持たせる歌詞ができあがるのだ。そこで自分に当てはめようとすると、この歌詞は自分の立場に当てはめられないと考えて一歩引いてしまうのだ。そのためこういったミュージシャンの歌詞は共感は得られにくいが幻想的で琴線に触れるような情緒がある歌詞になりやすく、深みがある印象を与える。

では一方、最初からターゲットを絞った西野カナはどうだろう。基本的に女性目線で好きな男の子の歌詞を書く。とにかくありきたりで現実的だ。"スマホ"を筆頭にした俗で世代を表す言葉も容赦なく飛び出す。初めから具体像を提示して、都合的解釈を許さない。そこで西野カナの特徴的な技術が登場する。
ひとつ例をあげよう。"あなたの好きなところ"という歌の歌詞の一部だ。
「色んなあなたをそばで見つめているよ
いつも一生懸命なとこ
意外と男らしいとこ
友達想いなとこ
トマトが嫌いなとこ
たまにバカなとこ
~中略~
どんなあなたも好きだよ」
自分はこの歌詞に西野カナが売れる技術が詰まっていると考える。
この歌詞で言っている好きな男性の特徴はほとんどの人に当てはまるようにできている。人間誰しもたとえ大雑把な推理をされても、自分にその特徴があれば、言い当てられたと感じてしまうものである。具体的なことは何一つ言っていないのにである。このことは血液型と性格の関連付けがこんなに流行していることからもわかるだろう。そのため中高生を始めとした若者は「うちの彼氏のこと言ってる~、カナやんすご~い」と自分の境遇に、好きな男性の特徴にしっくりと当てはめることができるのだ。そこで生まれた共感によって西野カナの音楽に惹きつけられるのである。
ここまで読んだ読者は、
「誰にでも当てはまるような歌詞って、結局抽象化をしているんじゃないか」
このように思うことだろう。その通りである。ただ他と違うのは初めにターゲットを絞ることにより抽象化のレベルが高くなくて済む、最後にトッピングのように抽象化を行うため全体として限りなく具体的だ。そうして出来た歌詞は浅はかな印象を生むが限定されたターゲットに深く共感を与えるのである。
つまるところ、西野カナマーケティングがすごくうまいのだ、自分の技術がわかっていて共感に特化した売り方がうまい。そして俗で現実的な歌詞は浅はかな印象を与えるが多くの共感を得て売れるのだ。そうして浅いからこそ売れるという理論に達する。
そもそも売れている曲が名曲だと考えるから"あんな曲がなぜ売れる"と思うのである。中身がどうであれ売れるものは売れるのだ。

以上のことからこう断言しよう、西野カナの曲は浅ければ浅いほど売れるのである。