西野カナの曲の歌詞は浅ければ浅いほど売れる

カレンダーをめくるごとに研究のやる気が湧いてくるものだと考えていたが、最後のページになってもやはり意識の持ちようは変わらない。だらだらとPCに向かっていると、同期女子が毎日夕方に来ているくせにそそくさと申し訳なさそうに登校してきた。
席に着くなり、
「shu711くん、これ」
そう言って西野カナのアルバムを渡してきた。彼女はTSUTAYAバイトしているので、レンタルを頼むと借りてきてくれる。
「わたしは好きじゃないけど、好きな人は好きだよね」
誰でもわかるように自分の好みに難癖をつけ、西野カナの歌詞が浅いのになぜ人気があるのがわからないと話してきた。

いやいや、それは全く逆だ。歌詞が浅いから売れているのだ、そこは間違ってはいけない。

そもそも西野カナの曲が40代や60代の人に向けていると思うだろうか。完全に10代20代、さらには女性に向けているのは誰でもわかるだろう。
あなたは老若男女に人気があるミュージシャンの歌詞についてどういう印象を受けるだろうか、自分は抽象化をしすぎてなにを言ってるのかわからない感じる。
例えば「きみと出会えた奇跡」なんて歌詞があるとしよう。
そのようなミュージシャンの場合"きみ"について具体的に言及していない場合が多い、"きみ"って好きな女の子?それとも娘?。表現も立場もあやふやなせいで共感できそうでやっぱり曖昧模糊として感情が移入できない。
「あれは実は結婚する友達に向けて作った歌なんだよ、だから"きみ"は友達なんだよ」
そんなこと知るよしもない、そういう楽しみ方もあってもいいとは思うが、裏情報がないと伝わらないのでは困る。
多くの人を共感させるには具体的な表現を抽象化しないといけない。クラスにいる"きみ"が好きな高校生の男の子も、会社で一緒に頑張っている女友達の"きみ"が好きなOLも、おてんばでやんちゃな大事な1人娘の"きみ"が好きなお母さんも全部ひっくるめて共感させるには抽象化をさせるしかない。そうやって欲張っていくと、正直よくわからないため自分で都合よく解釈して意味を持たせる歌詞ができあがるのだ。そこで自分に当てはめようとすると、この歌詞は自分の立場に当てはめられないと考えて一歩引いてしまうのだ。そのためこういったミュージシャンの歌詞は共感は得られにくいが幻想的で琴線に触れるような情緒がある歌詞になりやすく、深みがある印象を与える。

では一方、最初からターゲットを絞った西野カナはどうだろう。基本的に女性目線で好きな男の子の歌詞を書く。とにかくありきたりで現実的だ。"スマホ"を筆頭にした俗で世代を表す言葉も容赦なく飛び出す。初めから具体像を提示して、都合的解釈を許さない。そこで西野カナの特徴的な技術が登場する。
ひとつ例をあげよう。"あなたの好きなところ"という歌の歌詞の一部だ。
「色んなあなたをそばで見つめているよ
いつも一生懸命なとこ
意外と男らしいとこ
友達想いなとこ
トマトが嫌いなとこ
たまにバカなとこ
~中略~
どんなあなたも好きだよ」
自分はこの歌詞に西野カナが売れる技術が詰まっていると考える。
この歌詞で言っている好きな男性の特徴はほとんどの人に当てはまるようにできている。人間誰しもたとえ大雑把な推理をされても、自分にその特徴があれば、言い当てられたと感じてしまうものである。具体的なことは何一つ言っていないのにである。このことは血液型と性格の関連付けがこんなに流行していることからもわかるだろう。そのため中高生を始めとした若者は「うちの彼氏のこと言ってる~、カナやんすご~い」と自分の境遇に、好きな男性の特徴にしっくりと当てはめることができるのだ。そこで生まれた共感によって西野カナの音楽に惹きつけられるのである。
ここまで読んだ読者は、
「誰にでも当てはまるような歌詞って、結局抽象化をしているんじゃないか」
このように思うことだろう。その通りである。ただ他と違うのは初めにターゲットを絞ることにより抽象化のレベルが高くなくて済む、最後にトッピングのように抽象化を行うため全体として限りなく具体的だ。そうして出来た歌詞は浅はかな印象を生むが限定されたターゲットに深く共感を与えるのである。
つまるところ、西野カナマーケティングがすごくうまいのだ、自分の技術がわかっていて共感に特化した売り方がうまい。そして俗で現実的な歌詞は浅はかな印象を与えるが多くの共感を得て売れるのだ。そうして浅いからこそ売れるという理論に達する。
そもそも売れている曲が名曲だと考えるから"あんな曲がなぜ売れる"と思うのである。中身がどうであれ売れるものは売れるのだ。

以上のことからこう断言しよう、西野カナの曲は浅ければ浅いほど売れるのである。